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Deep Forest
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第18話 恋を進めよう
+++++++++++++
街灯の白い光に照らされて、ジャイさんは首を少しだけ右に傾けて突っ立っている。
さっき私がなでようとした猫がジャイさんの左足に体をすり寄せ、ジャイさんは足元に視線を落とすが、それをかわすように猫はさっさと行ってしまった。
「おいっす」
電話で聞いたのん気な挨拶をもう一度して、彼は一歩、私の方へ近付く。私は詰められる距離を引き伸ばしたくて、一歩、身を引いた。
「なんでいるの」
「ひまだったから」
ひまだったから、こんなところに突っ立っていたとでも言うのか。腕時計を確認する。私とジャイさんが会社で別れてからもう一時間ほど経とうとしていた。
「私のこと、待ってたの」
ジャイさんは私のことを待っていた。その確信はある。
「お詫びしろって言ってたし」
「そうだけど」
「お詫びするよ。一晩、付き合います」
一晩って。
よぎるのは、ジャイさんと初めて出会った夜だった。
奥さんから告発の電話を受け、私はやっくんに連絡を取った。「会って話がしたい」と。
話し合いをしたけれど、煮え切らないやっくんの態度に私は早々とキレて、まともに話し合うことが出来なかった。
それでも、彼に奥さんがいた以上、結論はひとつしかなく、私は別れの切なさに身を委ねるしかなかった。
やっくんと別れた後、一人でバーで飲んだくれて、のろのろと繁華街を歩いた。
ネオンの光の下で、髪の毛を異様にとがらせたホスト風の男たちが輪になって話し込んでいるのを、ぼやけた視界の中で眺めていた。
足取りはおぼつかず、酔いで頭はグワングワンとうなっていて、目の前は万華鏡をのぞいたみたいに華やかに見えた。
夢の世界を歩いているようだった。
もうだめだ、私はだめだ。
細い糸が今にも切れてしまいそうな危うい心を抱え、うつむいた顔をあげた、瞬間。
道路の向こう側を颯爽と歩く男が目に入った。
グレーのスーツをぴしりと着こなし、少し地味な紺色のネクタイをした男。仕事帰りなのか、パンパンにふくらんだバッグを片手に持って、長い足をさっさか動かして歩いていた。
足が勝手に前に進んでいた。
使命を受けたみたいに、彼に話しかけなきゃと思った。あいつしかいないと思った。
浮気相手だった私。大切な人の一番になれなかった私。
もういいじゃん。どうでもいいじゃん。誰でもいいじゃん。
頭の中で、もう一人の私が叫んでいた。
歩いていく彼のスーツの裾をつかみ、「私ってかわいいでしょ?」とでも言いたげに上目使いでささやいた。
――私とにゃんにゃんしませんか?
赤っ恥以外のなにものでもない。
出来れば記憶から削除してほしいけど、削除したのは私の方で、彼はしっかりとはっきりとばっくりと覚えてくれていた。
最悪な結果だ。
「私、にゃんにゃんはしないからね」
バカなことはもうしない。唇を尖らせて訴える。
ジャイさんは目を丸くして一瞬ぽかーんとした顔をした後、思いっきりブハッと唾を吐いて笑った。
思わず「汚い!」と訴えると、彼はお腹を抱えて笑い出してしまった。
「なんか、再現VTRみたいだな」
「なによ、それ」
「初めて会った日の焼き直しみたいじゃん。今のシチュエーション」
ジャイさんもあの日のことを思い出していたか。くそっ!
「カラオケでも行きますか」
「え?」
「いきなりセックスするのはさすがにあの日限りでしょ。ちゃんと順序良く進もうぜ。ちゃんとした恋愛をするんだからさ」
なにが言いたいのか、よくわからない。
「手を繋いでデートして告白して、キスをして、セックスする。順番は守った方が恋愛はうまくいきやすいからね」
何を今更。
そう言おうと思ったけど、やめた。
まるで私が、ジャイさんとの恋愛を進めていくんだって認めたみたいじゃないか。
「憂さ晴らししよう。付き合うよ。お詫びに」
「……しょうがないから、付き合ってあげる」
「生意気だなあ」
「うるさいな。そんなこと言うなら帰る」
とか言いつつも、帰る気は無かった。
独りになるのが怖かった。
相手がジャイさんなのが不服だけど、せめて今夜だけは、誰かにそばにいてほしかった。
もうすぐ二十一時をさしかかる。友達に「ふられたから一緒に遊んでー」なんて突然誘うには時間が遅すぎるし、誘いをかけまくるのが面倒だった。
「行こうか」
ふわふわの髪の毛を揺らして、ジャイさんは歩き出す。
その背中を見たら、なぜだか泣けてきた。
男の人の背中は、思っている以上に広くて、無骨で、たくましい。
――バイバイ。
何度も呼びかけた。バイバイ、バイバイ、バイバイ。
やっくんに、私自身に。
ついさっきまで、やっくんはそばにいたのに。
もう二度と会えないのだ。
楽しかった、ありがとう。陳腐な言葉で、お別れをした。
もっと言いたいことがあった。ありがとうなんて言葉だけで終わらせられないほど、一緒にいて幸せだった日々があった。ずっと一緒にいたかった。幸せにして、と言いたかった。
だけど、あの一言だけで充分だとも思えたんだ。
自分の気持ちの全てを集約したら、「ありがとう」ってそれしか、言えないと思ったから。
「好きだったの」
誰よりも、何よりも。
「好きだったんだよう」
ボロボロと零れ落ちて、滝のように止まらなくなる。
まるで子供みたいに、泣くしかなかった。
好きだったんだ。
やっくんが、本当に好きだった。
離れたくなかった。
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第18話 恋を進めよう
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街灯の白い光に照らされて、ジャイさんは首を少しだけ右に傾けて突っ立っている。
さっき私がなでようとした猫がジャイさんの左足に体をすり寄せ、ジャイさんは足元に視線を落とすが、それをかわすように猫はさっさと行ってしまった。
「おいっす」
電話で聞いたのん気な挨拶をもう一度して、彼は一歩、私の方へ近付く。私は詰められる距離を引き伸ばしたくて、一歩、身を引いた。
「なんでいるの」
「ひまだったから」
ひまだったから、こんなところに突っ立っていたとでも言うのか。腕時計を確認する。私とジャイさんが会社で別れてからもう一時間ほど経とうとしていた。
「私のこと、待ってたの」
ジャイさんは私のことを待っていた。その確信はある。
「お詫びしろって言ってたし」
「そうだけど」
「お詫びするよ。一晩、付き合います」
一晩って。
よぎるのは、ジャイさんと初めて出会った夜だった。
奥さんから告発の電話を受け、私はやっくんに連絡を取った。「会って話がしたい」と。
話し合いをしたけれど、煮え切らないやっくんの態度に私は早々とキレて、まともに話し合うことが出来なかった。
それでも、彼に奥さんがいた以上、結論はひとつしかなく、私は別れの切なさに身を委ねるしかなかった。
やっくんと別れた後、一人でバーで飲んだくれて、のろのろと繁華街を歩いた。
ネオンの光の下で、髪の毛を異様にとがらせたホスト風の男たちが輪になって話し込んでいるのを、ぼやけた視界の中で眺めていた。
足取りはおぼつかず、酔いで頭はグワングワンとうなっていて、目の前は万華鏡をのぞいたみたいに華やかに見えた。
夢の世界を歩いているようだった。
もうだめだ、私はだめだ。
細い糸が今にも切れてしまいそうな危うい心を抱え、うつむいた顔をあげた、瞬間。
道路の向こう側を颯爽と歩く男が目に入った。
グレーのスーツをぴしりと着こなし、少し地味な紺色のネクタイをした男。仕事帰りなのか、パンパンにふくらんだバッグを片手に持って、長い足をさっさか動かして歩いていた。
足が勝手に前に進んでいた。
使命を受けたみたいに、彼に話しかけなきゃと思った。あいつしかいないと思った。
浮気相手だった私。大切な人の一番になれなかった私。
もういいじゃん。どうでもいいじゃん。誰でもいいじゃん。
頭の中で、もう一人の私が叫んでいた。
歩いていく彼のスーツの裾をつかみ、「私ってかわいいでしょ?」とでも言いたげに上目使いでささやいた。
――私とにゃんにゃんしませんか?
赤っ恥以外のなにものでもない。
出来れば記憶から削除してほしいけど、削除したのは私の方で、彼はしっかりとはっきりとばっくりと覚えてくれていた。
最悪な結果だ。
「私、にゃんにゃんはしないからね」
バカなことはもうしない。唇を尖らせて訴える。
ジャイさんは目を丸くして一瞬ぽかーんとした顔をした後、思いっきりブハッと唾を吐いて笑った。
思わず「汚い!」と訴えると、彼はお腹を抱えて笑い出してしまった。
「なんか、再現VTRみたいだな」
「なによ、それ」
「初めて会った日の焼き直しみたいじゃん。今のシチュエーション」
ジャイさんもあの日のことを思い出していたか。くそっ!
「カラオケでも行きますか」
「え?」
「いきなりセックスするのはさすがにあの日限りでしょ。ちゃんと順序良く進もうぜ。ちゃんとした恋愛をするんだからさ」
なにが言いたいのか、よくわからない。
「手を繋いでデートして告白して、キスをして、セックスする。順番は守った方が恋愛はうまくいきやすいからね」
何を今更。
そう言おうと思ったけど、やめた。
まるで私が、ジャイさんとの恋愛を進めていくんだって認めたみたいじゃないか。
「憂さ晴らししよう。付き合うよ。お詫びに」
「……しょうがないから、付き合ってあげる」
「生意気だなあ」
「うるさいな。そんなこと言うなら帰る」
とか言いつつも、帰る気は無かった。
独りになるのが怖かった。
相手がジャイさんなのが不服だけど、せめて今夜だけは、誰かにそばにいてほしかった。
もうすぐ二十一時をさしかかる。友達に「ふられたから一緒に遊んでー」なんて突然誘うには時間が遅すぎるし、誘いをかけまくるのが面倒だった。
「行こうか」
ふわふわの髪の毛を揺らして、ジャイさんは歩き出す。
その背中を見たら、なぜだか泣けてきた。
男の人の背中は、思っている以上に広くて、無骨で、たくましい。
――バイバイ。
何度も呼びかけた。バイバイ、バイバイ、バイバイ。
やっくんに、私自身に。
ついさっきまで、やっくんはそばにいたのに。
もう二度と会えないのだ。
楽しかった、ありがとう。陳腐な言葉で、お別れをした。
もっと言いたいことがあった。ありがとうなんて言葉だけで終わらせられないほど、一緒にいて幸せだった日々があった。ずっと一緒にいたかった。幸せにして、と言いたかった。
だけど、あの一言だけで充分だとも思えたんだ。
自分の気持ちの全てを集約したら、「ありがとう」ってそれしか、言えないと思ったから。
「好きだったの」
誰よりも、何よりも。
「好きだったんだよう」
ボロボロと零れ落ちて、滝のように止まらなくなる。
まるで子供みたいに、泣くしかなかった。
好きだったんだ。
やっくんが、本当に好きだった。
離れたくなかった。
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