きよこの書き散らかし小説。
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Deep Forest

目次へ
TOPへ

第17話 幸せにしてあげたい

+++++++++++++

 たった一年。一年にも満たない期間しか一緒にいなかった。
 それなのに、体の隅々に彼との思い出が刻まれている。
 今持ってるこのバッグは、付き合って半年くらいの頃、仕事用の大きいバッグを探して、彼と一緒に新宿の駅ビルで買ったものだし、いつもつけてるこの腕時計は、彼がホワイトデーの時、私にプレゼントしてくれたものだ。

 短い付き合いの中で、私はこんなにも彼に繋ぎとめられている。

「ごめん、凛香。俺の言い方が悪かった。俺は、凛香だけを愛してる。別れたくない」

 それはきっと、彼も同じなんだろう。

「別れたくないんだ」

 くり返しつぶやいて、やっくんは手に持ったままのビールジョッキに目線を落とす。いつもは凛々しい眉毛が、今は八の字になってしまっている。

「……ごめんなさい」

 私はそう答えることしか出来ない。

 どんなに愛してると言われても、決意は変わらない。
 私は明るい未来を見据えたいのだ。
 影に怯えながら生きるという選択肢は、私の心には無い。

「どうしても、駄目なのか」

 語尾が少し震えていた。もしかしたら、泣きそうなのだろうか。
 やっくんの顔をまじまじと見つめる。お酒が入って少し赤くなっていたけど、やっくんの目は力強さを失っていない。泣きそうな気配はどこにもなかった。

「俺じゃ、駄目なのか」
「――うん」

 どうしてだろう。
 どうして私は頑なに、この答えを選ぶのだろう。

 離婚してくれる。私だけのやっくんになってくれる。
 愛してると、言ってくれた。

 でも、だめなのだ。

「……俺は、凛香を幸せにしたかったんだ」

 わかってる。そんなの、わかってる。
 やっくんは私を大切にしてくれた。たとえそれが不倫でも。確かに私を愛してくれた。
 だから、私の手を、離そうとしてくれない。

「俺じゃあ、凛香を幸せに出来ないのか」
「違う」

 お酒が回りだした頭の奥で、じりじりと熱を帯びて広がる。それはまるでろうそくの炎のような、温かく熱い、物思い。

「私が、やっくんを幸せに出来ないんだよ」

 やっくんはきっと、私を幸せにしてくれるだろう。
 鮮やかに思い浮かぶのは、白い家と、ベランダで揺れる洗濯物。
 いつか、やっくんとドライブに行った時、海辺の近くで見つけた光景だった。

 まだ建ったばかりの家は、ペンキの匂いが漂ってきそうなほど、白く輝いていた。まだ作りかけの庭には、ひょろりと小さな木が生えているだけで、レンガで区切られた一角だっておそらく花壇なのだろうけど、何も生えていなかった。
 白い服を着た女の人がベランダに出てきて、白いシャツを広げて干し始める。
 私と同い年くらいだろうか。まだ新婚なのだと主張するような、幸せそうな顔をしていた。

 運転をしていたやっくんは、ハンドルを握った手に顎を乗せて、「今のいいな」とつぶやいた。
 意味はわかっていたけど、なんだか照れくさくて、私は「何が?」ととぼけてみせた。

「いつか、結婚しような」

 プロポーズなのかと思った。でも、「いつか」がついたから、本気のプロポーズではないと思った。
 だから、私も「うん」と答えた。

 きっと、やっくんは私に、あんな風な白い家を与え、白いシャツを干せる環境を整えてくれるだろう。

 だけど、私はきっと、シャツを干すたびに考えるのだ。

「前の奥さんとも、こんな生活をしていたのだろうか」と。


「私はね、やっくん。幸せにしてもらうだけじゃ嫌なの。私が、幸せをあげたいの。でも、きっと、私はやっくんにあげられない」
「そんなこと――」

 やっくんの言葉を遮り、続ける。

「私じゃないんだよ」

 あいまいだった気持ちは、言葉にすることで明確な形となって、私の心を覆い尽くす。

 そうなのだ。

 私では、ない。

「やっくんが幸せにすべきなのは、やっくんの奥さんだけだよ。私は、奥さんほど、やっくんを幸せにしてあげられない」

 私と奥さんを天秤にかけないで、なんて言ったくせに。
 私の方がよっぽど、天秤にかけてる。

 クーラーが効きすぎているせいで、足が寒い。
 両手で肩をさすって、小さく息を吐く。

「今まで、ありがとう」

 個室の前を団体客が通り過ぎていったのか、たくさんの足音と笑い声が過ぎ去っていく。
 目を閉じると、まるでそれが、私とやっくんの思い出が過ぎ去っていく音のように思えた。

「楽しかった」

 終わったんだと、実感した。
 この恋の終わりが、ようやっと訪れた。

 やっくんはうなだれたまま、大きな手の平をテーブルに置いて、握りしめる。
 もう少しで無くなりそうなビールは、飲み口の部分に少量の泡を残していた。それが、するすると落ちていく。

「……俺も楽しかった。ありがとう」

 うん、とうなずいた。
 やっくんは顔をあげ、弱々しく微笑んだ。つぶらな瞳は、やっぱり力強さを失っていない。
 この目が、本当に好きだった。




 ***


 居酒屋の前で、私たちは別れた。
 駅まで一緒の道のりだけど、ここで別れたいと、やっくんは言った。
 私もそれに了承した。
 たった五分の道のりだけど、その五分を一緒に歩むのは、気持ちを逆戻りさせるだけだと、お互いわかっていたんだろう。

「先に、行って」

 店先に灯ったちょうちんをいじりながら、私はにこやかにそう言った。

「振り返らないでね」

 先に帰ることに抵抗があるのか、やっくんはなかなか歩き出そうとしない。だから私はやっくんの背中を小突いた。

「私はこっちの裏道から帰るから、やっくんはあっちの道」

 店先の光が並ぶ表通りを指差す。

「じゃあ……」

 名残惜しそうなやっくんの背中をもう一度押すと、のろのろと動き出した。

「バイバイ」

 手を振る。

 やっくんは振り返らない。大きな背中を真っ直ぐに伸ばして、いつもどおり歩き出す。

 もう一度、つぶやく。

「バイバイ」

 赤や青や緑や白の光の中に、道を歩くたくさんのスーツの男の人たちの中に、やっくんの背中は紛れて見えなくなっていく。

 もう二度と、見ることのない背中を、私はずっと目で追い続けた。



 ***


 裏通りを進むと、駅の改札近くにある、何かのビルの裏側に出る。
 薄汚れたビルの近くに聳え立った電柱の横で、大きなとら猫が寝ていた。私の存在に気づくと、あくびして体を起こした。
 何食わぬ顔で伸びをして、邪魔されたと言わんばかりにゆっくりと動き出す。
 ぴんと伸びたしっぽに触りたくて、私が歩調を速めたら、いきなりぴょんと飛んで、表通りに出て行ってしまった。
 チェッと舌打ちして、空を見上げる。
 表通りに近く、明かりが多く灯ったこの場所からは、星はひとつも見えず、あるのは灰色のビルと、ビルから漏れる電灯の光だけだった。

 車がクラクションを鳴らす。それに呼応するように、どこからかまたクラクションが響く。
 耳障りな音が、頭の中をめちゃくちゃにかき鳴らす。

「凛香ちゃん」

 幻聴が聴こえたと思った。

「凛香ちゃん、こっちこっち」

 地下鉄の改札へ行く、地下通路の横で、彼は私に向かって手を振っていた。

「ジャイさん……」

+++++++++++++

次話(第18話)へ
目次へ
TOPへ

拍手いただけると嬉しいです!


あとがき↓
たくさんの拍手、ありがとうございます。
励みになりまくってます。

ご意見やご感想などあったらお気軽にどうぞです。
誤字脱字のご指摘も大歓迎です。

作者は小躍りで喜びます!


追記を閉じる▲
たくさんの拍手、ありがとうございます。
励みになりまくってます。

ご意見やご感想などあったらお気軽にどうぞです。
誤字脱字のご指摘も大歓迎です。

作者は小躍りで喜びます!

【2009/08/29 02:44】 | Deep Forest(恋愛)
トラックバック(0) |
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。