きよこの書き散らかし小説。
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神様がくれた
じいに捧ぐ物語。

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第34話 まっすぐに。

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「とりあえず手術は終わりました」

 獣医の言葉に、実由は安堵の息を漏らそうとして息を止めた。
 メガネの向こうの獣医の目はちっとも笑っていない。厳しさだけが宿っていた。

「あの」
「手術は終わりましたけど、助かるかどうかはまだわかりません。あとはうちで容態を見ますから、今日のところはお帰り下さい」

 実由の困惑をさえぎるように、冷静な言葉が獣医の口からこぼれる。
 一切の感情を排除した冷たい声を前にしては、押し黙るしかなかった。

「容態が急変したら連絡しますので」
「でも、あの、そばにいたいんです」
「泊まれる設備はありませんから。何かあったらすぐに連絡します」

 太郎を置き去りにしたくない。生死の境をさまよう太郎を放ってなどおけない。
 実由は食い下がろうと足を踏み出したが、和斗が実由の肩をつかんで制止した。

「お願いします」

 そう言って、深々と頭を下げる。

「帰るぞ」
「でも」
「いても邪魔になるだけだ」

 そう言われてしまっては、反論できない。
 実由は手術台に寝そべる太郎の後姿を名残惜しく眺めながら、のろのろと出口に向かって歩き出した。

 まだ血がこびりついた太郎の背中。わずかにお腹は動いている。生きている。太郎は必死に呼吸をくり返し、生きようとしている。

「太郎」

 聞こえるわけはないけれど、「頑張って」「死なないで」と何度もつぶやいた。この祈りが神様に届いて、太郎を助けてくれると信じたかった。

「大丈夫だ」

 ぼそりと和斗がつぶやく。

「大丈夫だ、絶対」


 ***

 動物病院を出たところで、和斗は家に迎えを呼ぶため電話をかけようとした。
 だが、実由は「私は車に乗らない」と、断った。

「歩いて帰る」
「三十分はかかるぞ」
「うん。でも歩いて帰りたい」

 冷静になりたかった。頭の中はぼんやりと霧がかかったようにはっきりしなくて、押し寄せる波に飲まれそうになる。
 潮騒の音が、今はただ耳障りだった。

「しょうがねえな」
「和くんは車で帰ればいいよ」
「よかねえよ。女一人でうろつかせるわけにはいかねえし。それに、帰り道知ってんの?」

 そういえば、わからない。
 実由は首を横に振りながらうつむいた。

「行くぞ」

 ハーフパンツのポケットに手をつっこんだまま、和斗はすたすたと歩き出す。
 慌てて実由も歩き出した。

 まっすぐ伸びた道路の向こうに、真っ黒に染まった水平線が見える。
 大量の黒い雲は月を隠し、海と空の境界線をあいまいにする。
 道路の脇に生えた杉の木が強い風に揺れて音を立てる。少ない街灯の下で黒い影が揺らめいてはざわついて、そのたびに実由は肩を強張らせた。

 歩を進めるたびに、道路の向こうに見た太郎の姿を思い出す。

 車の勢いで、跳ねる体。起き上がろうとして倒れこむ。白い塊は奇妙な動きをくり返し、そのまま動かなくなった。
 上下する肺はお腹を荒く動かさせ、それはまるで死へのカウントダウンのようだった。

 前を歩く和斗の白いTシャツはところどころに血が染みこんでいる。太郎を抱え上げた時にこびりついたのだろう。

「太郎、大丈夫かな……」

 涙が込み上げる。でも泣いたらまた和斗に怒られてしまう気がして、ぐっとこらえる。喉の奥がひりついて、嗚咽が漏れそうになる。横隔膜が震えるのがわかる。

「大丈夫だ」
「何を根拠にそんなこと言うの」
「そう信じてるだけだよ」

 根拠なんてねえよ、と和斗は前を向いたまま答えた。
 和斗の広い背中を眺めながら、実由は和斗をうらやましいと思った。

 和斗は強い。
 隠しているだけかもしれないけれど、彼の言葉はいつも力強い。
 曲がらない一本筋が通った真摯な生き方だ。和斗は、実由には無い強さを持っている。

「和くんって、すごいね……」
「どこが」
「私、和くんみたいになれないよ」
「なんで俺みたいにならないといけないんだよ」
「だって」

 芯のない軟体動物みたいな自分が、実由は嫌いだった。
 何かあればすぐに折れてしまう弱い心。はっきりとした強い意志を持たず、あっちへこっちへと浮つく軽い心。

 何にも動じず、すべてを受け入れ、そしてそれでも真っ直ぐに立つ和斗の力強さは、実由には手の届かないものに思えた。

「泣きたい時は泣けばいいんだ。辛けりゃ辛いって言えばいい」

 ふと足を止め、少しだけ和斗は振り返ってくる。

「俺はお前の素直さがうらやましいと思うぞ」

 ガシガシと頭を掻いて、歩き出してしまう。
 実由は少し歩調を速めて、和斗の背中に近付く。

「和くん、そんなこと思ったりするんだね……」
「たまに、な。いつもじゃねえよ」

 湿った夏の風がゆっくりと吹きぬける。それに合わせるように波の音が響く。

「信じろ。あの犬は、大丈夫」
「うん」

 こらえきれずに溢れ出す涙を、ぬぐう。
 一度出た涙は止まることを知らず、次々に零れ落ちて、目の奥を熱くさせる。
 和斗の速い歩調についていけず、実由は立ち止まってしまった。

「……泣き虫だな」
「そ、んなことないもん」

 ため息をひとつついて、和斗は実由のところにまで戻ってきた。

「明日、朝一で病院に行ってみよう」
「うん」

 実由の足を動かすためか、和斗は実由の後頭部をぽんぽんと優しく叩いて、そのまま前に押し出す。
 それにつられて、一歩、実由は踏み出した。

「月が出たな」

 独り言のようにささやかれた和斗の言葉を受けて、空を仰ぐ。
 空一面に広がる黒い雲の合間から、真っ白な月が顔を出していた。

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【2009/04/06 01:43】 | 神様がくれた(恋愛)
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