きよこの書き散らかし小説。
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神様がくれた
じいに捧ぐ物語。

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第27話 ホーム。

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 英和辞書をパラパラとめくっていた実由は、ふと手を止めた。
『H』の項目に黒字で太く書かれた英語――HOME。

 家。家庭。ふるさと。

 ホームは無いと、ジーは言った。

 帰る場所がない――実由とジーの共通点。
 孤独な老人は、ダンボールの上で犬と二人きり、月を眺める。

 込み上げる寂しさを、小さな胸の中で繰り返し繰り返し抱きとめる。
 ジー、どこに行っちゃったの? つぶやいて、目をつぶる。

 まぶたの裏で、ジーの後姿が揺らいだ。
 てろんとした素材感のYシャツ。グレーのスラックス。太い足にはビーチサンダル。すらっとした若々しい姿勢。ベートーベンみたいな白髪。
 実由が呼ぶと、煙草の煙をまあるく吐き出す。
 ドーナッツ型になった煙は月に向かってぷかりぷかりと浮いて、土星のわっかみたいに月と重なる。
 ちらりと実由を見て、右の口角だけを上げて笑う。
 シニカルで、ニヒルな笑い方。
 しわでたるんだ目元はどことなく鋭いけれど、目線はいつだって優しい。

「ジー……」

 HOMEの文字をなぞる。ざらざらとした紙の感触が手に残る。
 ついこの間までは厚志のことで頭がいっぱいだったのに。今はジーのことしか考えられない。
 そのくらい、実由にとって、ジーの存在は大きかった。

「実由ちゃん」

 ドアのノック音と共に、里美の声がドアごしに聞こえてきた。
 実由は慌てて英和辞書を閉じ、頭だけドアの方に向ける。別に英和辞書を隠す必要なんてないのに、なぜだか隠してしまった。

「はい!」

 感傷に浸る気持ちを隠すため、わざと明るい返事をする。
 里美の朗らかな声が「スイカ食べる?」と呼びかけてきた。

「あ、食べます」

 立ち上がり、ドアを開ける。
 四次元ポケットに手をつっこむドラえもんのようなかんじで、エプロンのポケットに両手を入れた里美が立っていた。

「ミューちゃん、いい物あげる」

 エプロンから出されたのは、小さな花が重なったデザインのチャームがついた髪留めだった。

「え、これ? なに?」
「もらいものよ。私にはちょっと若すぎるから」
「わあ……。嬉しい! ありがとうございます」
「近所の人が台湾に旅行行って来たんですって。そのおみやげ」

 近所。実由はぼそりとつぶやいて、髪留めのチャームを手でいじる。

「里美さん、あの」
「ん?」
「この辺に、あの、ホームレスのおじいさん、いますよね?」

 密接なご近所づきあいがある地域なら、ジーの噂が流れているかもしれない。もしかしたら、ジーの家族と里美が知り合いの可能性だってある。
 それを思い立ち、実由は思わず聞いていた。

「ホームレス? どこらへんにいるの? 漁港らへん? あの辺はたまにいるらしいけど」

 里美の反応はいまいちだった。がっくりしそうになったが、すぐに諦めるつもりはない。

「水族館のところに、毎日いるおじいさん。里美さん、知らない?」
「水族館って、大潮水族館?」
「うん」

 実由の必死な様子に、里美は目を丸くしている。
 なぜそんなことを聞くのかと言いたげな、好奇心に満ちた瞳を実由に向けてきた。

「園原さんちのおじいさん?」
「有名なの!?」
「有名も何も。夕方になるとダンボールもってうろちょろしてるのよ? 知らない人のほうがいないわよ」
「園原さん、って? どこに住んでるの?」

 ずいっと上半身を前のめりにして里美に詰め寄る。里美は「どうしたのー?」とうろたえながら苦笑した。

「大潮水族館の前の道、あそこをまっすぐに行くとね、たばこ屋さんがあるの。そこの道を左に入って三軒目あたりに園原さんちがあるわよ。どうしてそんなこと聞くの? 実由ちゃん、園原さんちのおじいさんと会ったことあるの?」

 言っていいものかどうかわからなくて、実由は戸惑う。足元を見つめ、足の親指を動かす。
 実由が何も答えないから、里美は不思議そうに首をかしげる。

「あそこのおじいさん、ちょっとぼけてるから。お話なんてできないでしょう?」
「ぼけて……? そんなことないよ。普通だよ?」
「やっぱり会ったことあるの」

 誘導尋問に引っかかってしまった。「あ」と息を漏らし、下唇を尖らせた。

「家族のこと、わからなくなっちゃってるのよ。だから、徘徊してるの。ご家族も大変なのよ。この間、階段から落ちちゃったみたいで、怪我して入院したらしいの。実由ちゃん、知り合いならお見舞いに行ってあげたら?」
「入院って」
「ご老人だからねえ。骨折ったらしいわよ」

 足元がくずれていくような気がした。
 砂浜に立った時、引き潮で巻き込まれ足を支える砂がなくなっていくような、あの感覚。

 ジーがぼけている?
 家族のことがわからない?
 徘徊している?

 そんなはずはない、心の中で何度も否定する。
 ジーはいつだってしゃきっとしていて、しゃべり方だって普通の人と変わりない。むしろ発声がきれいで、若々しい印象さえ与える。

 奥さんのミウのことだってちゃんと覚えていたし、あの愛おしげな視線は、家族のことがわからなくなった人の目じゃない。
 徘徊という言葉だって、ぴんと来ない。あてもなくふらついているわけでもない。はっきりとした意思の下、ジーはあの場所にいた。
 少なくとも実由には、そう見えた。

「実由ちゃん? スイカ、食べるんでしょう?」
「あ、え、うん……」

 胃の中に何かがスウ、と落ちていく。
 消化しきれない、不明瞭なもの。

 ジーに会わなければいけないと、使命感のように気持ちは昂ぶる。

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【2009/03/04 04:14】 | 神様がくれた(恋愛)
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