きよこの書き散らかし小説。
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神様がくれた
じいに捧ぐ物語。

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第37話 最悪な時も。

+++++++++++++ 

 病院の面会時間は十時からだ。
 まだ朝方のこの時間では、ジーに面会することは出来ない。
 どこかで時間をつぶさなければならないけれど、行くところはどこにもない。やはり高山食堂に戻るしかなく、太郎の容態を見に行きたいのもあり、実由は仕方なく帰ることにした。

 雨は降りやまず、強さを増していく。
 強い雨が降ってはいても食堂はいつもどおり開店していた。夜のように暗いためか、煌々と電気が照っている。

 食堂のドアを開けると、和斗がキッチンの奥で包丁を動かしていた。
 全身ずぶぬれの実由に驚いたのか、大きく目を見開く。

「どうしたんだよ」
「……うん」

 どう答えていいのかわからず、ただうなずいた。

「犬のところ、行くんだろ。九時過ぎくらいに家出るから、着替えて準備しておけよ」

 和斗は何も聞かない。また包丁を動かしだす。

「和くん」

 返事もせず、和斗は一瞬だけ目線を実由に向けた。

「和くんは私のこと、最悪って言ったけど」

 ぬれた髪からひたひたと水が落ちる。足元に出来た水たまりを眺めながら、溢れ出そうになる涙をこらえる。

「今でも、そう思う……?」

 和斗はきっと否定も肯定もしないだろう。実由にはそれがわかっていたけど、聞かずにはいられなかった。

「……それって、今この瞬間ってことか?」
「うん」
「別に、最悪じゃねえだろ」

 リズミカルな包丁の音。シャキシャキと音を立て、切り刻まれていくキャベツの山がカウンター越しに見えた。
 雨の音はいつまでも変わることなく、責めたてるように降り続く。

「最悪な時も最高の時もあるだろ。いつも最悪なわけじゃねえ」

 和斗には不思議な距離感を感じた。近すぎることもなく、だからといって遠すぎるわけでもない。
 窮屈さを感じさせない。手を伸ばせば届く、そんな距離感は実由を安心させる。

「私、甘えてるよね」
「わかってんじゃん」
「はっきり言わないでよ」
「聞かれたから、答えただけ」

 包丁の音が止まったから、実由は顔を上げた。
 和斗も顔を上げて、実由に意地悪そうな笑顔を向けた。

「早く、着替えて来い。風邪引くぞ」
「……うん」

 太郎に会いに行く。ジーに会いに行く。なのに、具合を悪くするわけにはいかない。
 重くなった洋服の袖を掴んで、少し絞ると、雨水がぼとぼとと落ちた。

 ひんやりと冷えた心は、少しだけ温かさを取り戻していた。
 和斗と話したことで、沈んでいた心が浮上しようともがき始める。

 最高の時も最悪の時もある。

 和斗はそう言った。

 それなら、今は、最悪の時。
 最悪が今なら、最高になれるように、生きるしかない。


 ***

 九時半。動物病院が開いたと同時に、和斗と実由は病院の待合室に入った。受付の女性は昨日いた人と同じで、実由と和斗が受付に来る前に気付いてくれた。

「太郎くんの容態ですよね」

 優しそうな言葉に、実由は大きくうなずいた。

「今、先生をお呼びするから、少し待っててくださいね」

 ソファーに座って獣医を待つ。
 雨が降っているせいか、他にペットと飼い主が訪れる様子は無い。
 窓を叩きつける雨を眺める。
 この窓からは、灰色に染まった世界しか見ることが出来ない。

 程なくして、床をだるそうに叩くスリッパの音が聞こえてきた。
 奥の廊下から姿を現した獣医は、眼鏡越しの冷たい目線を実由たちに向けて、不機嫌そうにつぶやく。

「まだ意識は回復しません。何かあったらこちらから連絡しますから」
「あの、様子を見たいんですけど」
「ああ……どうぞ。奥にいます」

 面倒くさそうな応対に、いらいらする。
 雨が降っているからだけでなく、この応対の悪さで患者が来ないんじゃないかと、実由は獣医を睨みつける。
 奥の廊下を進んで、白い鉄の扉を開けると、小さな牢屋のような柵のついた籠が並ぶ。籠の中には、犬や猫がいて、実由たちの姿を認めると、吠えたりしっぽを振ったり無視したり、それぞれが好き勝手に動き出した。

 一番奥の籠の中に、太郎はいた。
 血はぬぐってくれたのか、真っ白な毛並みを取り戻していて、ただ眠っているだけのように見えた。
 とても生死の境をさまよっているようには見えない。

「太郎」

 柵を掴んで、なるべく顔を近くに寄せる。声が太郎に届くように、何度も呼びかける。

「太郎、目を覚まして」
「死なないで」
「太郎」

 ゆっくりと動くお腹を見ていると、事故当日を思い出して、喉が痛くなった。
 あの時の太郎と、今の太郎は、変わらない。
 傷口が見えるか見えないか、その差だけ。
 苦しそうに歪んだ鼻先も、時折ピクリピクリと動く耳も、あの時と何も変わらない。
 太郎はずっと、生きるか死ぬか、戦っている。

 もたげる後悔も、こみあげる涙も我慢して、実由は呼びかけ続けた。

 帰ってきてと。
 太郎のことを待ってる人間がいるのだと。

+++++++++++++

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【2009/05/02 00:52】 | 神様がくれた(恋愛)
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Deep Forest

あの日、酔いに任せて一夜を共にした男。
もう二度と会わないと思ってた。なのに、再会は訪れる。
あの夜は、始まりでしかなかった。


最新話はこちら(12/16UP)
2012/12/16完結
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第1話 ゴミ屋敷にリセットボタン
第2話 さ迷い歩けば、棒に当たる
第3話 当たった棒、足の小指に激突
第4話 恐ろしきは偶然という名の運命
第5話 心のメモに、キケンな男
第6話 体も心も、覚えてました
第7話 恋に盲目なアホ、ってことで
第8話 姉に甘い弟と、ラーメンでほろしょっぱい
第9話 ジャイさん的ジャイアニズム
第10話 ジャイさんと私、近くて遠くて
第11話 優しさって、なに?
第12話 猫なで声でおねがいごと
第13話 ジャイさん、逃走する
第14話 溺れる魚は、何を求める?
第15話 森のクマさん、出会いの一言
第16話 打算的な天秤にのせられて
第17話 幸せにしてあげたい
第18話 恋を進めよう
第19話 キレイとドロドロの狭間で
第20話 始まる予感、ニセモノの恋
第21話 しょうがないからY
第22話 新婚さんいらっしゃい
第23話 タイ料理屋で愛の告白?
第24話 ジャイさん品定め作戦、計画編
第25話 ジャイさん品定め作戦、お誘い編
第26話 ジャイさん品定め作戦、お返事編
第27話 チャンスの神様、前髪をわしづかみされる
第28話 俺んち、来る?
第29話 決行の夜
第30話 ぎゅって抱きしめて
第31話 アラジャイグマの見解
第32話 気持ちと心、アウフヘーベン
第33話 幸せになってほしくて
第34話 飲み会スタート!
第35話 人生の進め方
第36話 なんとなくの日々
第37話 人生に三度、モテ期到来
第38話 恋のカタチ
第39話 強引な男たち
第40話 君に会えた日
第41話 運命なんてものは
第42話 がけっぷちダイブ!
第43話 グッドタイミング? バッドタイミング?
第44話 やり手王子、襲来
第45話 晴れのち曇り、時々雷雨
第46話 言葉をくれる人
第47話 凛香、迷走中
第48話 心の迷宮
第49話 これでいいって、誰か
第50話 舞子戦争、勃発
第51話 舞子大魔王とホウタイ女
第52話 一緒にいたい
第53話 恋は落ちるもの
第54話 気持ち、爆発
第55話 深い森の出口
第56話 夢見るアラサー
第57話 私たちの幸せ
第58話(最終話)タイミングとフライング(12/16UP)

*******

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【2009/05/02 01:17】 | 作品目次
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Deep Forest

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第1話 ゴミ屋敷にリセットボタン

+++++++++++++ 

「ぬおおおおおおおおおおおおお!」

 衝撃のあまり、背中から落ちた。
 ふかふかのベッドの下は、これまたふかふかの絨毯だったから痛くはなかったけれど、あまりに驚きすぎて、顎がはずれかけた。
 顎をなでながら、起き上がる。
 ベッドの上でくたっと寝ているのは……どう見ても、見知らぬ男。
 昨晩は浴びるように酒を飲んだ。不覚にも記憶は一切ない。
 酔っ払いがカーネルおじさんやペコちゃんを持ち帰るのと同じように、私は男を持ち帰ったというのか。

「ん……ん?」

 柔らかいこげ茶色の髪を掻きながら、男は目を開けた。切れ長の目はすっきりとした二重で、色素が薄いのか瞳の色が茶色い。

「おはよ」

 寝ぼけた低い声で、男は優しそうに笑う。
 急に甘い空気に変わった気がして、この男やるな、とつい感心してしまった。

「どうしたの?」

 ベッドの下で呆然と座る私を訝しそうに見てくる。
 男があくびしながら上半身を起こすと布団がはらりと落ちて、すらっとした裸体が現れた。

「きゃーーーーーー! ごめんなさい、ごめんなさい! 私、あなたのこと、襲っちゃったんだ! ほんとにごめんなさい! 悪気はなかったんですー!」

 だから酒は恐ろしいんだ! 飲んでも飲まれるな、ってよく言うのに!
 土下座して深々と頭を下げたら、ブフ、という吹きだす音が聞こえた。

「あのさ、おかしくない? 普通、男の俺が謝る方だろ? 襲うのはたいてい男なんだし」
「だって、私、酒癖悪いもん! 襲うの、絶対私の方だもん!」

 超速で顔をあげ、ブンブンと頭を振って否定したら、男は腹を抱えて笑い出した。

「さけぐせ、わる、いもんって! ウケる」
「あ、あのー……」
「昨日のこと、覚えてないの?」

 はい、覚えてません。
 そう素直に答えてしまうのも悪い気がして、目を泳がせる。
 分厚いグレーのカーテンの隙間から、朝日の白い光が零れ落ちる。南国をイメージしてなのか、細長い葉の木が淡く光るライトの下で大きな影を作っている。
 やっぱり、ここ、ラブホ?

「昨日の夜、仕事帰りで歩いてたら、いきなりあんたが話しかけてきたんだよ」
「……まさかと思うけど、泥酔状態だった?」

 男は満面の笑顔でうなずいた。やっぱりね、と力無く笑うしかない。

「ほっぺ真っ赤にして目うるうるさせてさ、『私とにゃんにゃんしませんか?』って話しかけてきたんだぜ」

 にゃ、にゃんにゃん……。どう考えても死語……。

「しかも、その後、『私とホテルにトゥギャザーしましょう』って言ってきたんだよ。笑い死ぬかと思った」

 トゥギャザーってどこのルーだよっ!
 なんという醜態。お母さん、私、嫁入り前なのにこんな女に成り下がってしまいました。ごめんなさい。

「面白くってついていっちゃったよ」
「……で、ホテルにいるってことは、あなたと私、合体したってことですよね?」
「合体って! ロボットじゃないんだから」

 くすくすと笑い、男は私の方に身を乗り出して来た。筋肉質ではないけど脂肪はついていない体が目の前に迫ってきて、のけぞる。

「今更だけど、マッパだよ、あんた」

 頭の上からバスローブをかぶらされて、わたわたと手をかく。
 ちょ、マッパって? マッハじゃないよね? まっぱだかってこと?!

「ぎゃーーーー! 私、ストリーキングは趣味じゃないです!」
「言わなくってもそうでしょう、普通」

 もがきながら必死に体を隠して、やっとバスローブで見えなくなった視界が戻ってくる。
 男はいつの間にかベッドの端にいて、煙草を吸っていた。

「あんた、何かあったの?」
「な、なにかって?」
「やってるとき、泣いたから」

 やってる時……やっぱりやっちゃったのか、私……。がっくりと肩を落とし、バスローブを押さえつける。
 これじゃあ、あいつと一緒だ。

「彼氏が、私以外の女と、ヤってた」

 返事の代わりに、煙草の煙がたなびいた。

「だから、仕返ししてやりたくなったんだと思う……。酒飲みまくった後の行動だから、自分でもよくわかんないけど」
「他の男に抱かれてやろう、って自暴自棄になった?」

 うなずくことしか出来ない。バカな行動しか起こせない自分が呪わしい。何にもならないことをして、赤の他人を巻き込んで、一体私は何がしたいんだ。

「彼氏のこと、好きなの?」
「……たぶん」

 女からの告発だった。知らない女から私の携帯電話に突然電話がかかってきて、私が「もしもし」を言い終わらないうちに、女は叫んだのだ。

「あいつ、あんたのもんじゃないから。あんた、知らなかったの?」

 込み上げてきたのは、その女への怒りと、彼氏への嫌悪感。他の女を平気で抱いて、何食わぬ顔で私をも抱く、その神経に怖気が走った。
 冷めやらない感情を酒で晴らそうと飲みに飲みに飲んで、気付けば一人。路頭をさまよい、白いシャツと藍色のネクタイの男を見つけた。まぶしく見えたのは、酒のせいだったのか、この男が本当に輝いていたのか。

 断片的な記憶がとつとつと出てきて、頭を抱える。

「男は、皆そうなの? 誰でも、抱けるの?」
「さあ。男によるんじゃない? 俺は、選ぶよ」
「選ぶ?」
「いいなーって思った女しか抱かないし、彼女がいるときは極力他の女は見ない」
「極力って」

 男は狩人だからね、と爽やかに笑った。
 この男、変。テニスの後に爽やかな汗をぬぐってるみたいに、ミントみたいなオーラを放ってる。

「別れたら?」
「……うん」

 返事はしたけれど、それは「YES」の意味を含まない。ただ、うなずいただけ。別れる? その選択肢を、私は選ぶのだろうか。

「リセット」

 ぽん、と布団を叩く手。ごつごつした男の手は、頼りがいがあって、触れたくなる。
 ベッドの上に這い上がり、男に背を向けて座る。

 リセット。出来るのだろうか? もう一度初めから、やり直せるのだろうか。

「押してやってもいいよ、俺が。リセットボタン」

 男の手が私の腰に回る。私のおなかを叩いてくるその仕草は、まるで赤ん坊をあやす父親の手のようだった。
 彼の手を握り、首を横に振る。
 人生にリセットボタンなんてない。やり直すには、なにかを捨てるしかない。

「捨てられないよ、私には」
「ゴミ屋敷に住む女になるぜ、そんなんじゃ」

 振り返れば、男の顔が目の前に迫る。頬をつかまれ、唇をかまれた。「痛い」とわめいたら、優しくついばむようなキスを繰り返してきて、そっと割って入ってくる舌に、私は答えてしまった。
 体の芯が熱くなる。息が苦しいのに止めることも出来ず、絡み合う軟体動物みたいなそれを必死に追い求める。
 背中に回した手が彼の体の熱を感じ取って、じわりじわりと疼いてくる。
 堕ちる、そう思った。
 この男、絶対やばい。

「まだ時間はあるよ」
「うん……」

 私はバカだ。蛾が光源に向かって羽ばたくように、寄り添うものを追い求めてる。
 がむしゃらに。ひたすらに。無意識のうちに。
 必要とされたい。誰かの、誰かのためだけの自分でいたい。私でなくてもいいのなら、私という人間が必要とされていないのと同じなんだ。

「あんたが彼氏と別れるなら、俺のところ来ればいいよ」

 どうせ、戯言。わかってるけど、甘えたくなる。

「行ってやってもいいけど、私が自分で見つけるから、今日はこのまま別れて」

 甘美な誘惑に溺れるのは、きっとまだ早い。
 彼の首筋に舌を這わせながら、ニイ、と小悪魔っぽく笑ってやった。小悪魔っぽいってこういうかんじでいいのか、ちょっと不安だけど。

「見つけるってどうやって?」
「運命の相手なら、また会えるんじゃない」

 運命なんて、それこそ妄言。あるわけないものにすがりつく気なんてない。
 でも、また会えたなら。

「ねえ、名前だけ、教えてよ」
「タケシ」
「ジャイアンと同じ名前。覚えた」
「ジャイアンで覚えるな」

 チュ、と彼の頬にキスを落として、体を離す。

「あんたの名前は?」
「ナイショ」

 一夜だけの過ち。だけど、始まりの合図。
 ゴミ屋敷になる前に、すべてを一掃して。

 私は、新しく始めるんだ。

 そして、その時、この男とまた会えたら。
 その時は、また違う始まりに期待をしよう。

 ラブホテルを出たら、きらめくような朝の光が目に飛び込んできた。
 目を細めて空を見上げて、ふっと笑う。
 昨日の夜、雨でも降っていたのだろうか。地面に残る水たまりに空が映っていた。
 立ち止まり、覗き込むと、私の顔が水面で揺らいでいた。

 足を弾ませ、水たまりを飛び越える。
 飛んだ瞬間、心も弾んだ。



 ――私とタケシはこうして出会った。


 まさか、また出会うとは思わなかったけれど。

+++++++++++++

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【2009/05/02 01:23】 | Deep Forest(恋愛)
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カトラス
 一話だけ読んでの酷評。

 ラブコメですよね。
 会話文のはっちゃけ具合と説明文を始めとした地の文が、むちゃくちゃ違和感ある。地の文はどちらかというと文芸の書き方。どっちかに統一した方がラブコメはいいと思った。その辺は卯月さんの作品なんかを参考にしたらいいかと思いますよ。
 文体に違和感があったので、自分は続き読む気なならんかった。

 もちろん、いいとこもあるけど、酷評なんでのぞんでないでしょうから、やめます。最新話まで読んだらまた感想は変わってくるかもですけど。

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神様がくれた
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第38話 夢うつつの中で。

+++++++++++++ 

 獣医に頭を下げ、実由と和斗は病院を後にした。
 慇懃無礼な獣医は最後まで冷たい視線を実由たちに送り続けた。
 見舞いにわざわざ来るな、邪魔だ、と目で訴えてくる。あの視線に、実由は耐えられなかった。

 あんな応対の獣医が太郎を救えるのか。不安で仕方なくなるけれど、このあたりには動物病院はここにしか無いらしい。
 動物を飼っている人たちはペットをどこの病院に連れて行っているのか、確認して回りたくなる。

 里美の車で家に帰り、実由はその足でジーのいる病院に向かった。
 豪雨で客はほとんど来ないから、休みをもらえたのだ。

 傘を叩く雨を透明のビニールごしに眺めながら、泥水に覆われた道路を進む。
 病院についた頃には、傘をさしていたにも関わらずびしょぬれになっていた。濡れた手足をタオルで拭いて、ジーの病室に急ぐ。
 ジーのいる病室に入ると、いびきが合唱していた。患者は全員寝ていて、ジーのベッドだけいつもの通りカーテンが閉められている。

 大口を開けて寝ている老人たちの姿を微笑ましく思いながら、実由はカーテンを少し揺らして、「ジー」と呼びかけた。
 いつもなら低いしわがれた声で「おう」と返事が来るのに、今日は無い。
 不思議に思いつつ中をのぞくと、ジーはすやすやと寝入っていた。
 ジーが寝ている姿ははじめて見た。
 眉間にしわを寄せ、難しい顔をしながらも、何かをモゴモゴつぶやいて、一瞬幸せそうに笑む。
 小さな赤ん坊のような、そんな笑顔だった。

 ジーを起こさないようにそっと椅子に腰かけ、ベッドの手すりに肘をかける。

「ジー。私、自分が情けないよ……」

 きちんとしなければ、しっかりしなければ。そう思うのに、なにひとつ成長できない。いつまでたっても人に甘えてばかりで、おんぶにだっこを当たり前のように思ってしまう。
 いつになったらもっと大人になれるのだろう。こんなことを繰り返し続けて、自分の身になっていると、言えるのだろうか。――実由にはもうわからない。

「どうすれば、もっとちゃんとできるの?」

 頭痛がこめかみから迫って来る。それと共に、涙の海が押し寄せてきて、目の奥が染み出すように痛い。
 眉間を押さえ、目をつぶったら、厚志の狼狽した顔を思い出してしまった。

 ――厚志も傷つけてしまった。

 後悔はとめどなく溢れて、じわりじわりと襲ってくる。
 いつも朗らかで優しい笑みを絶やさなかった厚志から、笑顔を奪ってしまった。
 厚志は今、何を考えているだろう。
 実由と同じように後悔しているだろうか。自責の念に駆られているのだろうか。
 厚志にどう謝ればいいのか、それさえもわからない。

「ジー……」

 涙で震える声を絞り出す。
 起こしてはかわいそうだと思うから、声は小さく沈んでいく。

「助けて」

 他力本願な言葉を吐いてしまう自分が、どんどん情けなさを増していく気がして、腕の中に突っ伏した。
 何か困ったことがあればすぐに救いの手を探してしまう、自分の手で解決しようとしない自分を本当に情けなく思う。

「ミウ」

 掠れた低音に、実由ははっとする。
 ジーはか細く目を開けて、実由を見ていた。

「なに、泣いてるんだ」

 布団の中から、ジーの手が出てくる。実由の頭をなでようと伸ばされるけど、その距離は遠く、髪の先っぽを梳くだけに留まった。

「お前は本当に我慢ばかりするな。俺の前なら、泣いていいんだぞ」

 つっけんどんな話し方のジーなのに、今は柔らかな声で話しかけてくる。

「俺の前では、我慢しないでいい」

 虚ろな目は、実由に向けられているのに、どこか遠かった。

「ミウ」

 息を飲み、ジーの目を見やる。
 ジーが今話しかけているのは、実由じゃない。今、ジーのいる場所は『ここ』じゃない。どこか別の場所で、別の誰かに話しかけている。

「ミウ、俺がいるから」

『ミウ』――それはジーの奥さんの名前だ。
 ジーは、奥さんの姿と実由を重ねてみているのだ。現実ではなく、夢うつつの中で。

「ミウ」

 実由の髪をなでるジーの手を、実由はそっと掴んでいた。両手で握りしめて何度もうなずく。涙は際限なく溢れて、止まらなかった。

「ミウ、俺がそばにいる」
「わかってる。大丈夫だよ」

『ミウ』になったつもりで、返事した。

『ミウ』はどういう人間だったのだろう。表向きは強がって背筋を伸ばして生きていたのかもしれない。
 ジーに見せてもらった、あのセピア色の写真の中の『ミウ』は意思の強そうな目をして、凛々しい表情をしていた。
 あれは表面上のもので、本当は人には見せない弱さを持っていたのかもしれない。
 だから、ジーは呼びかけ続けていたのだ。

「俺がいる」「そばにいる」

 大切な人がそばにいなくなってしまった、今も。
 幻影の中の『ミウ』に呼びかけ続ける。

+++++++++++++

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【2009/05/07 01:40】 | 神様がくれた(恋愛)
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Deep Forest

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第2話 さ迷い歩けば、棒に当たる

+++++++++++++ 

 私はどこから道を踏み誤ったのだろう。
 振り返った道の向こうにあるのは、霧のかかった夜の闇だけ。

「あんたは恋愛をしてないよ」

――独り相撲をしてるだけ。

「自分の都合を押し付けるだけしか出来ないなら、あんた、この先ずっと独りぼっちだよ」

――わかってる。この気持ちは。

 深い森の中を歩いているかのようだった。
 隣にいる人は顔の見えない、黒い影。
 手を繋がれ、その手に引かれ、ただ、ついていくだけ。
 深いほうへ、深いほうへと――。


 むせ返るような緑の芳香。
 光を通さない葉の群れ。
 湿った大地に、足は沈み込んでいく。

 歩いて、歩いて。


 見えたものは。


――見えるものは。


 ***

「悪い。伝票、渡し忘れた」
「またですか」

 向かいの席に座る男の顔も見ずに、私は低い声だけを返した。
 営業事務を務めて四年。大学を卒業してからずっとこの仕事を続けてきた。それなりに仕事をこなし、それなりに周りに認められ、それなりに生きてきた。

「またって、そんなしょっちゅうじゃねえよ」

 向かいに座るこの色白の男は川田という営業マンで、私は彼のサポートも行っている。
 営業なんて数字取れればいい、なんて考えのこのバカは、いつもいつも営業先からもらった伝票を提出し忘れ、決済の日に私の怒りを買うのだ。

「こういうの、困るんですよ。私一人で伝票何枚さばいてると思ってるんですか。伝票出た時点ですぐに渡してください。何度も同じこと、言わせないでくださいよ」

 ひったくるように伝票を受け取ると、川田はあからさまに舌打ちを打って、私に聞こえる大きさの声で「かわいくねえ女」とつぶやいた。

「よく言われます」
「だろうな」
「嫌味な男ですね」
「よく言われるよ」
「だと思いました」

 けたけたと気持ち悪い笑い声をあげて、彼は自分のデスクに座り直す。
 私はまたパソコンに向かい、伝票をパラパラとめくった。今日は残業で確定だ。
 ため息をついて、数字の羅列を目で追う。

 ……ため息をつくごとに幸せは逃げるというけど。そうなのかもしれない。


 彼氏と正式に別れたのは、一昨日の夜だった。
 相手の女からの電話を受け、ショックのあまり泥酔した日から二日後のこと。私から別れを切り出した。彼氏は最初、「別れたくない」と連呼した。
 お前が好きだと、お前が一番なんだと。

 けれど、そんな言葉を真に受けて「じゃあやり直そうか」と言えるほど、私は甘い女ではなかったし、なにより、浮気を心配しながらこれからも付き合い続けるなんて、考えたくもなかった。

 ゴールデンウィークを使って行こうとしていた旅行もキャンセル。手配だって、私がした。

 別れたあとの、別れちゃったからこその作業を淡々とこなすことほどむなしいことはない。
 楽しいはずの旅行が、行きたかった海外旅行が、彼氏と過ごす愛おしい時間が、キャベツの千切りみたいに刻まれて、消えていく。

 あまりの空しさに、ゴールデンウィークをまた飲んだくれて終わらせてしまった。

 抜けきれない酒は、だるさだけを体に残す。
 木霊する電話の音にイライラして、パソコンのキーボードを打つ手に力がこもる。

「むかつくっ」

 つい言葉が零れ落ちた時、やっと横に人が立っていることに気付いた。

「佐村」

 威厳ある低い声にびくりと肩を震わせて、ちろりと目線だけをあげたら、最悪なことに部長が立っていた。
 今の独り言、聞かれた……よね?

「午後の会議の件だが」
「あ、はい」

 部長はため息をこぼしながら、私の机の上に山となった書類をポンポンと叩いた。

「この課にいる女の子の中じゃ、佐村が一番事務仕事してるだろ。だから、今回のシステム変更の件、向こうの担当と細かい打ち合わせをお前に任せたいんだが」

 ついこの間から、会社のパソコンのシステムが変更されることになった。
 事務処理をより円滑に進めるためだとかで、どこかの会社に依頼して、根本的な部分から見直しをしているらしい。

 私がいる課の男は営業担当で、パソコンとはほぼ無縁。パソコンの諸々の処理をする営業事務の仕事は女の子が任されていて、うちの課には三人いる。
 一人は四十代にさしかかろうとする勤続二十年の大ベテランだが、大ベテランを鼻にかけて、全く仕事をしない。
 もう一人は私の頼れる先輩なのだが、仕事量が半端なく、おそらく打ち合わせなんてしてる暇はないだろう。
「一番事務仕事をしてる」なんて建前で、要は私しかやれる人間がいないのだ。

「わかりました……」

 書類の山を見ているだけで、やる気は失せる。
 普段の仕事をしながらシステム変更の打ち合わせ? 残業三昧の日々が簡単に想像できる。

「お前は歯に衣着せぬ発言をするからな。はっきり色々言えた方が、いいシステムを組んでもらえるから。頑張れよ」

 褒められてないですよね、それ。と苦笑いしながら答えると、部長は大声で笑いながら私の肩を叩いた後、「じゃ、午後の会議でな」と言ってさっさと行ってしまった。


 ***

 午後の会議ほど、夢の世界にこんにちはしたくなるものはない。
 窓辺から差し込んでくる太陽の光が背中をぽかぽかと温めて、眠れ眠れと背中をさすられているかのよう。
 なんとかかんとか株式会社のなんとかとかいう男が今回のシステムについてなんだかむにゃむにゃと言っているが、正直全然頭に入ってこない。
 三十代後半くらいの男性と、私と同じくらいの男性が二人。システム変更でうちの会社に派遣された彼らは資料を片手に真面目な顔でよくわからんパソコン用語を連発する。

「――と言うわけで、うちの課は佐村が担当いたしますので」

 いきなり名前を呼ばれて、はっとする。

 いつの間にか、システム変更の説明は終わったらしい。他の課から選出されたシステム変更の担当者が立ち上がり、自己紹介をしている。
 私も慌てて立ち上がって、ぺこりとお辞儀した。

「営業課の佐村凛香(さむらりんか)と申します。よろしくお願い致します」

 顔をあげて、気付く。システム変更の会社の男――名刺を確認したら株式会社CWS 赤峰武と書いてあった――がジロジロと私を見ていた。

 なんだよ。ヨダレの跡でも残ってんの?
 さりげなく手で口元をぬぐって、椅子に座る。

 赤峰武は、他の人たちが自己紹介してる間も、ずっと私を見ていた。

 気持ち悪いヤツ……。


+++++++++++++

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↓あとがき
あんまりきちんと話を考えていないので、不定期更新です(^^;

実は今回の主人公は私の別作品の登場人物だったりします。
とは言っても、番外編のみにしか出てないのですが・・・


この作品の登場人物の姉です。
空に落ちる
登場してる番外編はこちら


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【2009/05/13 03:31】 | Deep Forest(恋愛)
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神様がくれた
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第39話 プレゼント。

+++++++++++++ 

 ジーが何歳なのかはわからない。
 けれど、七十年、八十年、実由の何倍もの時間を生きてきた。その時の流れの中で、ジーもたくさん悩み苦しんできたのだろう。
 ジーのしわがれた手にそっと触れて、実由はジーの顔を見つめ続けていた。

 今はただ穏やかに眠っている。

 刻まれた皺の数だけ、いろんな思いを経験している。
 ジーにもきっと、実由みたいに思い悩んだ時があったはずだ。

 それでも。
 ジーは強く生きている。時々、夢の世界でミウに会いながら。生きているのだ。

「ジー」

 ジーを愛おしく思うのは、ジーの包み込んでくれるような優しさに惹かれているからだ。
 優しさは甘やかすこととは違う。
 叱咤もすれば、突き放すことだってある。それでも、思いの先に自分がいるのだと、気持ちを傾けてくれているのだとわかる。

 ふと、和斗の顔が浮かんだ。
 和斗はぶっきらぼうだ。言葉だってきついし、厳しい態度ばかり。だけど、見放しているわけではない。
 ジーの優しさとは少し違うけど、根本的な部分が似ている気がする。

「ミュー、来てたのか」
「うん」

 ふと目を覚ましたジーは目をこすりながら、顔を動かす。カーテンに遮られた日差しは柔らかくベッドに注ぐ。

「夢を見たよ」
「どんな夢?」
「妻がいた」

 うん、とうなずく。

「泣いていたよ」
「よく泣く人だったの?」
「いいや。全然泣かない女だった。生意気でな。プライドが高いんだ。俺の前でくらい、泣いたっていいのになあ」
「ジー、優しい」

 フ、と笑って、ジーは目を閉じる。思い出の中にまどろんでいくかのように。

「お前さんと妻は似ていないが、似ている気がする。心の中にいろんなもんを溜め込んで、つらいつらいって心が泣いてる」

 子供がはしゃぐ声が聞こえてくる。すぐに母親らしき人の怒鳴り声が廊下に響いた。
 人はたくさんいるのに、カーテン一枚で仕切られたこの場所は、隔絶されたひとつの小さな空間のように、ぽつんと存在しているように思えた。

「俺はな、ミュー」

 天井を見つめ、手を胸の前で組んで、ジーは小さく息を吐いた。

「お前さんがくれた時間が、本当に楽しかった」

 それはまるで、別れの挨拶のようで。

「太郎とお前さんと俺。あの時間が大切だったよ」

 胸が軋んだ。

「太郎と一緒にいるための時間が、いつの間にか、お前さんと過ごすための時間になっていたなあ」

 ジーの言葉にうなずきながら、涙を我慢して笑いかける。

「お前さんに会えて、良かったよ」

 首をこれでもかと縦に振って、答えた。声が出てこなかった。

「死ぬ前のプレゼントだな」

 いつもと同じ。ジーは右の口角だけをきゅっと上げて、笑う。

「神様だか仏さんだか知らんが」

 ジーの目はちょっと意地悪そう。実由を横目で見て、短い息を吐いた。

「そうだな。お前さんは前に言ってたな。神様のいたずらだって」

 いつだったか、ジーの奥さんの写真を見せてもらった時だった。奥さんの名前が「ミウ」だとわかった時、実由が言ったのだ。「神様のいたずらだね」と。

 ひとり、納得したように頭を振りながら、ジーは少し偉そうに言う。

「神様がくれた」

 お前さんを、とジーはつぶやいて、楽しそうに笑い続ける。
 溢れ出そうになる涙をこらえれば、返事は何も出来なくなって、ただずっとうなずくしかなかった。

「ミュー」

 実由の腕に触れるジーの手は、ほんのり熱い。

「俺の家に行って来てくれないか。渡したいものがある」


 ***

 ジーに渡されたメモをたどり、実由は住宅街を歩いていた。
 古い家屋が建ち並ぶ一角、L字型の私道の奥に、ジーの家はあった。
 薄汚れた外壁が、この家の築年数を物語ってはいたが、広い庭が玄関の前に広がっていて、裕福さを主張する。

 芝生の上に設置された石のステップをたどり、玄関に到着すると、緊張でびくびくしながらも呼び鈴を押した。
 軽快な鈴の音が、静かな家屋の向こうで響いているのがわかる。

 強い風になぶられる髪をおさえる。
 雨は止んでいたが、空の上では真っ黒な雲がうずまいていた。

「どなた?」

 がちゃりと鍵の開いた音がして、引き戸が開く。
 少しだけ顔を出した初老の女は、どこかで見かけた顔だった。
 ジーは息子の家族と一緒に暮らしていると言っていた。おそらく、この女はジーの息子の嫁なのだろう。

「何か、ご用?」

 突然の訪問者に、女は眉をひそめてジロジロと品定めしてくる。実由はその視線に耐えられずうつむきながら、「元一さんの知り合いなんです」と答えた。

「おじいちゃんの?」

 警戒心を解こうともしない女の顔は、さらに深く歪んでいった。

「これ、元一さんからの、手紙で……」

 家に着いたら渡すようにと言われていたメモ用紙を差し出すと、女は首をかしげながら受け取ってくれた。

「……引き出し?」

 ぶつぶつと何事がつぶやいて、女は家の中に戻っていってしまった。
 取り残された実由は、ドアの隙間から家の中をこっそりのぞいて、女の後姿を探す。
 玄関そばの部屋に入っていく背中が見えた。

+++++++++++++

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【2009/05/17 03:29】 | 神様がくれた(恋愛)
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第3話 当たった棒、足の小指に激突

+++++++++++++ 

「あんにゃろー……数字、全然違うじゃんかよ」

 伝票を睨みつけながら、電卓を叩く。私の前の席に座る営業の川田は、またもや伝票の数字をミスった。
 計算をし直しながら、川田のいない机に文句を吐く。川田は営業先に行ってしまった。だから、今なら川田の文句を言いたい放題だ。

「凛ちゃん、落ち着いて」

 隣に座る私の頼れる先輩、岸川智子は苦笑しながら、私の肩をなでてくれた。
 岸川さんはつぶらな目をした穏やかな顔立ちで、ふんわり優しい雰囲気を身にまとっている。
 隣にいるだけで癒されるのに、仕事はバリバリにこなすのだから、さらに憧れてしまう。私が男だったら、確実に惚れてた。

「川田さん、口ばっかで腹立つんですもん。いつか絶対、隅田川に落としてやります」
「なんで隅田川」
「似合いそうだから」
「どんなイメージよ」

 川田がぬれねずみになっている姿を想像してぷっと吹き出す。やっぱりいつか絶対、隅田川に落としてやろう。

「あの、佐村さん?」

 黒いことを考えながらほくそ笑んでいたら、書類を抱えた男が机の横に立っていた。今日の会議にいた……なんとかかんとか株式会社のなんとかだ。……名前、なんだっけ。

「これ、目を通しておいて下さい。あと、少しお時間をいただきたいんですけど」

 私に書類を手渡したその手で、眉毛辺りにまで伸びたこげ茶の髪の毛をうざそうに掻いた。
 髪質は男の人にしては柔らかそうで、チンチラの毛みたいだ。
 すっきりとした切れ長の二重の目をしていて、瞳の色が茶色っぽいせいか色気がある。吸引力があるというか……引き込まれそうな目だ。ダイソンばり。
 身長は私より少し高いくらい――私が一六五センチだから、一八〇センチいかないくらいだろう。無駄な贅肉はついていないのにやせ細ってみえるわけでもないスレンダーな体型だ。
 薄めの唇の口角は常に上がっているから、営業に向いていそう。あ、でもシステム変更でうちの会社に来ているのだから、システムエンジニアなのか。
 ぱっと見は『イケメン』なんだろう。

「時間って、今からですか?」
「すぐに終わりますから。システムの件で、お伺いしたいことがいくつかあって」
「じゃあ、大丈夫です」

 机の上に広げていた伝票を書類の山に置いて、ナントカ(名前が思い出せない)さんに笑いかける。
 こういう時くらいなら、私だって営業スマイルくらい出来る。

「ちょっと会議室まで来てもらっていいですか? 五分くらいで終わります」
「はい」

 私の所属する課があるフロアには小会議室がある。四人が対面で座れるテーブルが置いてある程度の広さだ。
 そこに案内され、席に着くと、早速システムについての質問をいくつかされた。
 現行のシステムの使いづらい点だとか、使いやすい点だとか。
 質問に答えるたび、ナントカ(やっぱり名前が出てこない)さんは高そうなボールペンを動かしてメモを取っている。

「やはりデータ分析をしづらいんですね、今のシステム」
「そうですね。あとは入力時に商品コードが出てこないのが確認の際に不便で」
「わかりました。それじゃあ、僕からも質問が」
「はい?」

 ボールペンの動きが止まった。コンコン、とメモ用紙を叩いた後、彼はにやりと笑った。

「僕のこと、覚えてますか?」
「は?」
「覚えてます?」

 さりげなく名前を呼ばないようにしていたの、気付かれたか。名刺を確認しておくべきだった。
 名前、名前……確か色がついていたような。崖っぽいかんじだった気がするけど、山っぽいかんじだった気もする。

「僕はあなたのこと、しっかり覚えてるのに。ひどいなあ」

 わざとらしいくらい眉毛を下げて残念がる。大げさにため息をついて、私を見つめてきた。

「す、すいません。お、覚えてますよ。ええと、あの、ええっと」
「もしかして、照れてるんですか?」

 なんで照れなきゃいけないんだ。この男、うぬぼれてんの?

「僕だって、恥ずかしいんですよ。まさか、ねえ」

 恥ずかしいといってる割には、恥ずかしがってる様子は無い。堂々とした態度で、挑戦的な眼差しを向けてくる。
 ていうか、恥ずかしがる意味がわからないんですけど!

「覚えてますから。青森さん!」
「どうして県名が出てくるんですか」
「あ、あれ。じゃあ、山森さん?」
「牛丼山盛りですか」
「うそ。ええと、青山さん?」
「青山三丁目かい」
「……すいません、覚えてません」

 降参です。負けました。社会人失格です。がっくりと肩を落として、しょんぼりしてみせる。どうかこのイタイケな態度で許してください。

「本当に覚えてないの? 確かに飲んだくれてたけど」

 そう言って、彼はしかめ面をつくったあと、親指で眉間をぐっと押した。
 おや? あの親指、見たことあるぞ。

「ちょ、ちょっと、待って。その親指!」

 つめの形がお父さんの額の形に似てるなーって思ったのよ!

「あの時の、ラブホのっ!」
「え、あの、親指で思い出したの?」
「ジャイアン!」
「しかもほんとにジャイアンで覚えてるのかよ!」

+++++++++++++

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あとがき↓
こんな名前の間違え方したら、ほんとに社会人失格だ・・・

ちなみに私の足の親指の形は蛇の頭に似ています(^^)めでゅーさ!


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【2009/05/17 03:37】 | Deep Forest(恋愛)
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第40話 嘘。

+++++++++++++ 

 玄関先の花壇に植えられたマリーゴールドの花が風で揺れている。
 それを眺めながら、実由はぼんやりと家主が出てくるのを待っていた。

 玄関の向こう側は薄暗く、人の気配を感じない。
 昼前の静かすぎる時間のためかどこからともなく、潮騒の音が聞こえてきた。
 目を閉じて、海を感じる。
 一瞬、意識は水族館の裏庭へ飛ぶ。ジーがいる。太郎がいる。月がふんわりと照り出してくれる。

 ジーがいるのは、いつだってあの場所。ここは、ジーの居場所じゃないと、実由は思った。こんな重苦しい空気は、ジーには似合わない。

「お待たせ」

 玄関の開く音で、はっとする。女は、ため息をつきながら、実由に紙袋を差し出した。
 しわくちゃになった紙袋は、口を止めたテープが無理やりはがされたせいで、破けてしまっていた。

「犬の首輪なんて、どうするのかしら」

 心底呆れた、という冷たい口調に、実由は顔をしかめた。
 もしかしたら、この女は勝手に袋を開けて中を確かめたのかもしれない。

 破れた部分から赤い革が見える。四角い鋲が並んでついていて、骨の形をしたプラスチックのチャームが揺れている。

「あの、犬は、飼わないんですか?」
「どうして」
「元一さんが……」
「飼うわけないでしょう」

 実由の疑問をかき消すように、冷たい声音が響く。萎縮しながら女を見ると、女は不機嫌そうに口をへの字に歪めていた。

「嫌になるわよね。年寄りは。ふらふら歩き回って、汚い野良犬拾ってきて。しかも首輪まで買ってるなんて!」
「そっ……!!」

 反論しようと口を開いたが、言葉を発せられなかった。
 太郎を汚い野良犬と呼び、ジーを邪険にする。ジーがこの家に居場所がないと言った理由をすぐに察する。

 思い出してしまった。
 初めて、ジーの病室を訪れた日。ジーの病室の前で、「面倒くさい」とぼやいて洗濯物を持って帰った女がいた。目の前にいる女は、あの時の女だった。

「ジー……元一さんは、ぼけてるんですか?」

 小さな怒りの炎がぽっと芽生えたことに気付く。炎は揺れ、体を熱くさせる。

「そりゃそうでしょ。夜に出歩いて野良犬の散歩してるのよ? どう考えたってぼけてるわよ」

 いつだってジーはしゃんとしていた。背筋を真っ直ぐに伸ばし、明るく笑っていた。
 家族に「ぼけている」と偽られていても。
 太郎といるあの時間を、ジーは大切にしていた。
 ――太郎を守るために。

「ジーはぼけてないもん。ジーは世界一素敵な人だよ! 嘘をつかないで!」

 手に持った犬の首輪を握りしめる。紙袋がクシャクシャと音を立て、破れる。
 汗ばんだ手の平に、湿った空気がまとわりつく。
 くやしくてたまらなかった。ジーを蔑ろにする、目の前の女が許せなかった。

「あなた、何? 失礼な子ね。どこの子なの? 親御さんは?」

 唾を飛ばして怒る女の視線から逃れるように、実由は体を反転させた。そのまま、走り出す。
 後ろで女が何かを叫んでいるのが聞こえるけれど、無視を決め込んで、ひたすら足を動かした。
 波の音が耳を叩きつけて、めまいがする。

 ジーは太郎を飼おうとしていたのだ。
 そしておそらくは、あの女に反対された。
 太郎を見捨てられなかったジーは、毎日毎日、太郎に会うためにあの場所へ訪れていたのだ。
 そんなジーの行動を恥に思った女は「ぼけてきているんだ」と周りに吹聴していたのだろう。

「ジー」

 上がる息をそのまま、実由は走り続ける。
 太郎に会いに行くのだ。
 ジーの愛情がこもったこの首輪を、生死の狭間でさまよう太郎に渡さなければいけない。渡さなければならなかった。
 太郎ならきっと、ジーのために戻ってきてくれる。ジーのそばに、実由のそばに。
 願いながら、一歩一歩蹴りだす。


 ***


 動物病院は昼近くになっても閑散としていた。
 また来た実由に対し、獣医は不快感を露にしながらも、待合室に誰もいない現状では実由を追い払うことも出来ず、渋々中に通してくれた。

 また降り出した雨がポツポツと音を立てる中、太郎の下に歩んでゆく。
 白い壁に囲われた部屋の一番奥。柵の中で太郎はぐったりと横たわっている。太郎の前にしゃがみこんで、首輪を両手でかざして見せた。

「太郎、ジーからのプレゼントだよ」

 呼びかけても、太郎は動かない。

「太郎は、もう野良犬じゃないんだよ」

 赤い首輪を左右に振って見せびらかすけれど、太郎が反応してくれるとは思えなかった。

「太郎、死んじゃだめだよ。ジーが待ってる。私も待ってるの。だからね、早く目を覚まして。目を覚ましたら、この首輪をつけてあげるからね」

 太郎、太郎と、何度も呼んだ。
 声が、太郎をこの世に留まらせてくれると信じたかった。いつか話して聞かせたみたいに、実由は語り続けた。
 実由の部屋のことを。そこで過ごす生活のことを。これからを思い描いて、そこにいる太郎に思いを馳せた。
 そうすることで、太郎も生きる力を手に入れてくれる気がした。

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【2009/05/25 02:18】 | 神様がくれた(恋愛)
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第4話 恐ろしきは偶然という名の運命

+++++++++++++ 

 偶然とは、かくも恐ろしいものなのか。
 私は後ろにのけぞった体をそのままに、目の前にいるジャイアンを指差すことしか出来なかった。

「こんなところでまた会うとは思ってなかったよ」
「それは私だって!」

 今までの紳士的な態度はどこへやら。いやらしい笑みを浮かべて私を見つめてくるジャイアンは、あの日のままに思えた。
 脳裏によぎる、彼の裸体。シーツごしのスマートな体型がはっきりと思い出されて、顔が熱くなる。

「しかも忘れ去られてるとはね。あんなに愛し合ったのに」
「あ、あいあ、あいあいあいあい」
「おさるさん?」
「さるじゃないっつーの! 愛し合ったって、愛し合ったってなによ!」
「声がでかい」

 人差し指を口の前にかざして、「しー」とにやける。
 会議室の隣には同僚がわんさかいる。聞こえてしまったら大変なことになってしまう。
 私は慌てて手で口を塞ぎ、声のトーンを落とした。

「ていうか、ちょっと待って。どういうこと? なんでここにいるの?」
「いや、システム変更のためだけど」
「送り込まれたスパイじゃないの!?」
「何のためのスパイだよ」
「う、うわき、ちょうさ?」
「誰の浮気調査?」

 テンパリすぎて、状況が把握できない。
 そうだよ、浮気調査って、意味がわからない。
 髪をくしゃりと両手で抱えたら、髪を結んでいたシュシュが落ちてしまった。
 ああ、もう。髪の毛もめちゃくちゃだ。

「彼氏とはどうなったの?」
「は?」
「浮気されたんでしょ?」
「ああ、うん」

 チンチラの毛みたいな髪の向こう側にある鋭い瞳が、私を捉える。射抜くみたいな視線に、思わず硬直してしまった。

「……浮気っていうかさ」

 ふと体に力が抜けた。
 もうこの男には醜態を晒してる。これ以上何も恥じるようなことはないし、何を言ってもいいような気がした。

「私が浮気相手だったんだよね」
「……どういうこと?」

 視線が和らいだのがわかった。私を労わるような優しさが瞳に宿っている。

「結婚してたの。相手の女から電話があったんだけどさ。……奥さんだったんだよね」

 気付かなかった自分が情けなくて、友達にも隠してた。
 私の元彼は既婚者で、そのことを隠して私と付き合っていたのだ。
 彼の浮気は奥さんにばれて、奥さんは私に直接問い詰めてきた。

 立場はどう考えても奥さんのほうが強い。激しい怒りをこめながらも、冷静沈着を装った冷たい声音は、私を蹴倒した。

「あいつ、あんたのもんじゃないから。あんた、知らなかったの?」

 そう言って、鼻で笑った。

「訴えてもいいのよ。あんたから慰謝料だって取れるんだからね」

 勝ち誇った言い草に、かちんと来たけれど、私には言い返す力など無かった。

 慰謝料? 何も知らなかった私にそんなものが請求できるのだろうか? でも、言い訳としか捉えられなかったら?

 それに、それに――。


 彼は、私に嘘をついていたのだ。


 恋愛なんて、大人になったらゲームみたいなものになってしまうのだろうか。
 騙し騙され、本気だとか愛してるだとか。まやかしばかりで、真実なんてどこにも見えやしない。

「そっか。じゃあ、俺のところに来るか」

 それはまるで、「ちょっと飲みにいかね?」くらいの、軽い誘いに聞こえた。ジャイアンは涼しそうな表情で、にっこりと笑う。

「なんでそうなるの? 一晩ねんごろになっただけじゃない」
「ねんごろって、あんた、何時代の人だよ」

 わけがわからない。にじみ出てきた涙をぬぐって、手をぐっと握りしめる。
 もう男に騙されるのはこりごりだ。

「俺ね、ベッドの相性は重要だと思うんだよ」
「……はあ」
「あんたの体、すげえ好み」
「はあ?」

 あまりに率直すぎる告白に、開いた口がふさがらない。
 この男、馬鹿? そんなこと言われて、喜ぶとでも思ってるの?

「言ったでしょう? 俺が押してやるよ。リセットボタン」

 伸びてきた手が、私の頬を濡らす涙をぬぐった。
 お父さんの額そっくりの爪が、涙できらりと光る。

「今夜、飲みに行かない?」

 にっこりと微笑みかけてくるジャイアンの顔は、ひたすら優しくて。
 さっきのえげつない発言が嘘のよう。

「おっと、時間だ」

 立ち上がった彼のスーツの袖を思わず掴んでしまった。

「飲みになんて、いかない!」
「酒に酔わせて襲おうとは思ってないよ」
「そういう問題じゃない!」
「あ、襲ってほしかった?」
「あほか!」

 なんなんだこの男は。

 固く閉じた私の心の扉を、いとも簡単に開け放ち侵入してくる。
 拒んでもするりとかいくぐってしまう。
 関わるとまずい、私の本能が警鐘を鳴らしている。

「じゃ、八時に新宿駅で」
「ちょ、勝手に……! 剛田さん!」

 名を呼び、もう一度しがみつくと、ジャイアンはぽかんとした顔で私を見下ろしてきた。

「ジャイアンで覚えたと思ったら、そっち?」
「え」
「ジャイアンはジャイアンでも剛田じゃないから! 名前! タケシ!」
「あ、ごめん」

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【2009/05/25 02:30】 | Deep Forest(恋愛)
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第41話 いつか誰かを。

+++++++++++++

 大雨の後は、快晴が待っている。
 太陽が灼熱を降り注ぎ、雨の後を一掃していく。濡れそぼった道路もあっという間に乾いて、雨の名残はどこにも見当たらない。

 海の家は前日の閑散とした雰囲気もどこへやら、賑わいを取り戻していた。
 波は高く、海は少し荒れているが、泳げないほどではない。大きな音をたてる波を、海水浴客たちは喜んでいるように見えた。

「実由ちゃん」

 昼時のピークタイムがすぎて、実由が一息ついたときだった。厚志が少し気まずそうに笑みを浮かべて、こっちに来いと手を振っている。
 一瞬ためらったけれど、昨日の出来事を引きずったままでいるのが嫌で、厚志の誘いに応じる。

 覚悟は出来ていた。振られる覚悟を決めていた。決意に近い思いがあった。振られなければならない。潔く、身を引かなければいけないと思った。

 厚志が好きだ。
 だからこそ、これ以上彼を困られてはいけないし、このまま、お互い嫌な思いをしたまま、別れの日を迎えるのはいけないと思っていたのだ。

 お盆を終えたら、実由は家に帰るつもりだった。
 今の環境は、実由に優しい。けれど、優しい場所に居座り続けるのは、何かが違う。
 いずれは家に帰らなければならないし、海の家にずっといることが出来ないのはわかっている。
 でも、リミットが来て渋々家に戻るのと、「帰る」と決意して家に戻るのとでは、雲泥の差がある。
 自分の判断で、この場所から離れなければならないと、実由自身もわかっていた。

 厚志の後について、歩いていく。
 花火大会の日、厚志の背中を追ったことを思い出す。
 あの日の打ち上げ花火が脳裏で花開いた瞬間、歓迎会と称して一緒に花火をした日の光景が目の前を通り過ぎる。
 ぐるりと振り回した手持ち花火が、火の粉をふりまいてハートを作る。
 その先にあるのは、厚志の笑顔。
 優しい微笑みは、包み込むように温かくて、柔らかかった。

 いつだって厚志は優しかった。
 どんな時も変わらぬ優しさで、実由を包んでくれた。
 だけど、実由に必要だったのは、厚志がくれる優しさじゃない。
 実由の心を癒してくれたけど、実由が今、本当に必要なのは、そういう優しさじゃないと知ってしまった。

「あのさ」

 防波堤を眺めながら、厚志は日に焼けた茶髪を掻いた。太陽をまぶしそうに仰いで、ふっと短い息を吐く。

「俺がこんなことを言うのは、卑怯だけど」

 首を振って、否定する。昨日の出来事の引き金を引いたのは、実由だ。
 だから、すべてを「厚志のせい」とは言えなかった。

「みゅーちゃんのことを恋愛の対象には見れないんだ」

 うん、とうなずく。そんなこと、わかっていた。――それでも、厚志の気を引きたかった。

「俺は、理香が一番大事だし……あんなことをしたくせに、言えた義理じゃないのはわかってるんだけど」

 目を伏せて、厚志はまた息を吐いた。
 厚志は一生懸命言葉を選んでくれている。実由を傷つけないように気を使ってくれていることを、ひしひしと感じた。

「あっくん、ごめんね」
「謝るなよ」
「うん。でも、ごめんね」

 厚志への気持ちは、自分にとってプラスにはならない。
 厚志にすがりつき、「好きになって、私を見て」なんていう恋愛は、今の実由に必要じゃない。
 厚志への負担にしかならないこの思いは、もう捨てなければいけなかった。

「……俺もごめん」
「謝らないで」

 必死に笑顔を作った。
 泣きそうになるのを我慢して、精一杯の笑顔を、厚志に向けた。

「あっくんが前に言ってくれたみたいに、あっくんと私、家族みたいな関係でいるのが一番だったんだって、私も思うの」

 本当は、振り向いてほしかったけれど。

「だからさ、何もなかったことにしよう」
「そ……」

 厚志はきっと「それでいいの?」と問いかけようとしたのだろう。けれど、そう聞くのも咎められたのか口をつぐんで、押し黙る。

「あっくん、ありがとう」

 優しさに甘えることしか出来なかった自分。厚志は実由を突き放そうとはしなかった。それが、嬉しかった。

 真剣に向き合ってくれて、真摯な言葉をくれる厚志が、やっぱり好きで、でもどうしようもできない。
 うまくかみ合わない歯車をもどかしく思いながらも、かみ合わないからこそ、この恋が成就することは永遠に無いと、わかっていた。

「いつかね、誰かを好きになったら」

 波はコンクリートの塊にぶつかってしぶきをあげて、舞い散る。太陽の光を受けて、キラキラときらめいては、まぶたの裏側に陰影だけを残して消える。

「あっくんみたいに、相手の気持ちを考えられるようになりたい」
「俺だって、そんなに考えてあげられてないよ」

 厚志を見上げる。困ったような笑顔で、実由をじっと見ていた。

「あっくんは、私の憧れなんだよ」

 大好き、その言葉は飲み込んで、笑いかける。

「自分のことしか考えられない今の私じゃ、きっといい恋愛は出来ないもん。……いつか、私も」

 もっと大人になって、相手を最優先に考えられるようになれたら。
 自分本位じゃない恋愛が出来るようになれたら。

 一歩一歩、着実に歩もうと誓った。

 いきなり大人にはなれないから。
 少しずつ、階段を上がるように大人になりたい。

 ゆっくりと、自分の歩幅で。

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【2009/05/30 02:09】 | 神様がくれた(恋愛)
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